2023年ゆく年くる年思い出シリーズ④ ‐ はじめての入院
どうも!ゼロ(仔ushisan)です。
本日は「2023年ゆく年くる年思い出シリーズ」最終話となります。
この「はじめての入院」をするきっかけとなった大惨事は「2023年ゆく年くる年思い出シリーズ③ ‐ 好調のコアユ釣りからの大惨事」として昨日の日記に書きました。
昨日の日記からの続き物となりますので、よろしければ昨日の日記も合わせて読んで頂ければと思います。
検査結果と治療方針
左橈骨遠位端骨折
前日、思いっきりすっころんで左手首がふたつになった私は救急搬送され無事応急処置をされたわけですが、あくまで応急処置の範囲でしかありません。
処置後にきっちりと後日整形外科受診の上、手術による治療を勧められました。
地元で治療したいので紹介状を貰って翌日にさっそく整形外科を受診したところ、ばっちり折れていました。
診断結果は「左橈骨遠位端骨折」。
あと、ついでに「左尺骨」も折れてるとか…。
検査結果を聞いた時は即入院、手術か…とビビりまくっていたのですが、意外にも周を跨いでからの手術と言うことになりました。
治療方針
前述のとおり入院手術となることは間違いなかったのですが、翌週に回されたのには理由がありました。
めっちゃ「腫れてる状態で手術をするのは逆にやりにくいから」と言うことでした。
週明けくらいになれば腫れも少しは引いて手術もしやすくなるはずと言うことで、翌週2泊3日の入院と言うことになりました。
今はインプラント(金属プレートを埋め込んで固定)して、ギプスで保護する程度の手術が一般的なようです。
また、インプラントも術後に不具合が無ければ入れっぱなしでもよく、不具合があったら1年後くらいに取り外す手術をするとのことでした。
昔はこういうインプラント技術が無く、「整復」した後はギプスで固定して自然治癒に任せていたそうです。
2泊3日の入院
入院前
今思えばこの期間がいちばん辛かったですね。
ギプスが巻かれているとは言え、折れた骨はそのままなので兎に角痛い。
ひたすら痛みに耐えるしかなく、処方された鎮痛剤のみで過ごす数日。
まあでも、正直なところ「虫歯末期の痛みよりはマシ」程度の痛みではあります。
(歩く振動だけで激痛が走るあの痛みは本当に最悪です…伝わるかな~?)
そしてこの期間も毎日少しずつではありますが痛みと腫れが引いていくのです。
人間の自然治癒能力って凄いですね。
入院1日目
全身麻酔での手術予定となったため、手術日の前日から入院です。
左手首が痛くて動かせない以外は割と元気だった私は、付き添いの妻と一緒に手術着とかもろもろの準備を進めました。
この歳にして幸い、記憶にある範囲では初めての入院生活のスタートです。
ひと段落して病室で落ち着いた後はひたすら暇で、スマホを触って時間を潰すのみでした。
そして初日から、他の患者さんが押す「鳴りやまないナースコール」を聞きつつ、私はよほどのことが無ければ押さないようにしようと心に誓うのでした…(笑)
入院2日目
いよいよ手術当日、手術室まで歩いて行って、手術台にがっつり自分で乗っかり寝そべる私。
患者の模範生ですね!(違)
さらに初体験の全身麻酔、抗えないと言う噂を聞いていた私はどこまで抗えるのか全身麻酔に全力で抵抗してやろうと気合いを入れます。(意味不明)
右腕に刺されていた点滴から冷えた薬液(麻酔)が身体の中に流れ込んでくる間隔まで覚えています。
しかし、その後の記憶は手術が終わり、麻酔が解けて意識が戻ったところです。
はい、耐えれませんでした、即落ちですね。
後日この話を妻にしたところ「当たり前や」って笑われました。(笑)
入院3日目
朝から担当医が手術の痕を見てくださり、異常がないことを確認したのちは退院の準備と手続きです。
予定どおり無事に2泊3日で退院となりました。
ここまでくると恐るべきは痛みがほぼないこと。
いや、まあ動かせばそりゃ当然痛いですけど、動かさなければ痛みは無いんです。
驚きですよね…
でも、逆に納得でもありました。
何がかと言うと、幼いころ友達が、世間で見かける小さな子供たちが骨折した後、割とケロッとしていて普通に生活しているのが何故か。
こういうことだったのですね。
ちなみにナースコールは最後まで押さずに済みました。(笑)
手術後
完治
5月17日に骨折し、翌日に整形外科を受診。
5月23日に手術となり、そこから全治3ヵ月でした。
手術後は順調で指定された日に定期的に通院し、抜糸、検査、完治と言う流れです。
治療部位のずれも1mm以下で、担当医も満足げに「自分で言うのも何ですが、完璧な手術でした。」と言ったところです。
ちなみに「全治3ヵ月」ではありましたが、負荷を掛けて良いという許可が出るまでは1ヵ月程度でしたので、だいたい2ヵ月が経過した7月に釣りを解禁とする許可を妻にもらいました。
現在
左手の可動域は恐らく100%戻っています。
ただ、限界可動域まで動かすとまだ痛みがありますし、全体重程の負荷を掛けるとやはりまだ痛みます。手術痕も完全に塞がっているもののまだ赤味があります。
よく聞く冬場に痛むというのもなんとなくわかる気がします。
まだ術後1年も経過していないのでなんとなくですが、動かしていないときでもダル重い感じです。
(骨も傷口も治ってはいるのですが何故でしょうね)
その他にも気づくところとしては、手術痕の真下にある筋(腱?)が手術後しばらく動かさなかった(と言うか動かしてはいけなかった)から癒着しているのか、皮膚が突っ張っている感じがあります。
(実際に皮膚をつまんで動かすと、筋(腱?)も一緒に動く感覚があります。)
また、その付近には手のひらに繋がる神経も通っているようで(当たり前)触ると手のひらの一部に電気が走るようなビリっとした感覚がありますね。
(肘をぶつけたときにくるあれ)
年も年なんでただ単に治りが遅いだけと言うところもあるでしょうけれどね。
新事実発覚
実は過去に骨折経験あり
今回の左手首骨折に伴う検査で、実は過去にも骨折を経験していたことがわかりました。
昔から左手親指の向きが変だな~って違和感は持っていたのですが、どうやらそれが骨折後に自然治癒した結果だったようです。
骨折だと気づかずに放置して、自然治癒させた結果どうやら元の状態に戻らずにそうなっていたようです。
その怪我(骨折)がいつのものかは記憶の彼方に存在していて「ああ、あの時のか…」と。
当時は痛かった覚えはありますが、捻挫程度だと思っていて湿布だけ貼っていた記憶が間違いなくあります。
右肩の骨が変形
これは現在の話です。
手術後にリハビリ担当医と話しているときに、私が「右腕を回すと肩がゴリゴリ鳴るんですよね~」と言いながら腕を回してみせたところ、リハビリ担当医が触った瞬間に「あ、これ骨が変形してますね」と言われてわかりました。
これに関しては正直、ぶつけたりとかした記憶もないし、いつからこうなっているのか分からないし、気づいたらこうなっていたという感じです。
特に痛いわけでもないし、可動域に異常がある訳でもなく、今困っているわけでもないので様子見となりました。
終わりに
人生何十年も生きていると本当にいろんなことがありますね。
こうやって大怪我をして初めて経験したり、気づかされることとか本当にたくさん。
いい歳になって、だいたい何でも経験して知っている気になっていたのが恥ずかしく思えてきます。
「初心忘るべからず」って言うのは、物事だけではなく人生そのものにも言えるのかもしれません。
と言うわけで、本日も長々と言うよりダラダラと書きました「2023年ゆく年くる年思い出シリーズ」はこれにて終いとさせていただきます。
これを公開する時間は既に日付も変わった深夜、大晦日です。
もっと早く書けよと自分にも言い聞かせつつ、2023年12月31日を楽しみたいと思います。
それではまたあした?
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